東京地方裁判所 昭和34年(ワ)2085号 判決 1965年8月25日
原告 田辺達也
被告 興国人絹パルプ株式会社
主文
一、原告が被告の従業員であることを確認する。
二、被告は原告に対し五六六、九六〇円を支払え。
三、訴訟費用は被告の負担とする。
四、第二項は、仮に執行することができる。
事実
第一当事者双方の求める裁判
原告訴訟代理人は、主文同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、請求棄却、訴訟費用原告負担の判決を求めた。
第二請求原因
一 被告会社は、肩書地に本店、大阪市に支店を置き、静岡県吉原市、富山市、大分県佐伯市および熊本県八代市にそれぞれ工場を有し、パルプ・紙・化学繊維等の製造加工ならびに販売その他これに関連する事業を営む、資本金三一億二、〇〇〇万円の株式会社である。
原告は、昭和二六年四月期間の定めなく被告会社に雇用され、同社八代工場において、同月から昭和二九年七月まで機械課保全係の原液保全に、同年同月から同年一二月まで同係の紡糸保全に、昭和三〇年一月から同三二年三月まで同じく同係の予防保全に係員として勤務し、その後は昭和三二年三月一九日から同三三年八月一六日まで興国人絹パルプ労働組合(以下「組合」という)の中央執行委員として組合事務に専従していたものである。
二 被告会社は、原告に対し、昭和三三年三月二六日付の通知書により、同月三一日付をもつて解雇する旨の意思表示をした。
三 しかしながら、右解雇の意思表示は、次の理由により無効である。
1 被告会社は、昭和三三年二月一四日組合との団体交渉の席上、次のような人員整理要領を発表した。
すなわち、会社は、人員整理を(一)八代工場紡績部門の移設に伴うものと、(二)一般部門の合理化によるものとの二つに分け、(一)については、可能な範囲において配置転換を行い、その残余人員については一斉解雇を行うとの方針のもとに、男子については配置転換実施後の残余人員の全部を、女子については四六八名を解雇するものとし、(二)については、可能な範囲において配置転換を行い、更に希望退職者を募集し、これらの方法でなお余剰人員が生じたときは指名解雇するとの方針のもとに配置転換基準と解雇基準を示した。
解雇基準は、次のとおりである。
イ 解雇基準
A 次の基準の一に該当した者
<1> 昭和三三年一二月三一日までに満五〇才以上に達する者。ただし、技能ないし成績優秀にして余人をもつてかえがたい者を除く。
<2> 昭和三三年二月一日現在、私傷病および事故による休職者、三ケ月以上の長期欠勤者ならびに長期欠勤予想者。ただし、技能ないし成績優秀にして近い将来病気が治癒し、健康回復が予想される者を除く。
<3> 過去において、本人の行為により減給または出勤停止の処分を受けた者。ただし、その後改しゆんの情が顕著にして、技能ないし成績優秀な者を除く。
<4> 担当職務に比し高賃金な者。
<5> 配置転換該当者にして異動を拒否した者。
<6> 身体虚弱者(要保護および同程度の者)。ただし、技能ないし成績優秀な者を除く。
B 上記基準により、解雇人員に満たないときは、過去の人事考課の成績の下位の者から順次解雇する。
同列者については、次の基準を綜合判断して順位を定める。
<1> 年長者
<2> 身体虚弱者
<3> 転職容易な者
<4> 他に生計の道を有する者
<5> 有夫の婦
<6> 親許居住者にして両親のいずれか一方に相当の収入ある者
2 組合は、右人員整理案に対し強力に反対して同月一六日斗争宣言を発し、争議状態に入つたが、会社は、同月二六日全事業場を通じて八三一名を整理する旨発表し、三月二六日原告らに対し解雇通告を行つた。
3 原告は、入社以後解雇に至るまで、次のとおり組合活動を行つた。
(一) 原告は入社と同時頃組合八代支部に加入したが、当時から昭和三〇年初頃までは毎月開かれた職場委員の報告会等には必ず出席し、一組合員として質疑・意見の開陳を行うことにより、職制中心の組合の御用性を鋭く批判し組合民主化のために努力した。
(二) 昭和三〇年三月、原告は職場委員となり、ますます活溌に組合活動を行うようになつて、八代支部機関紙「くまがわ」にも常時寄稿していた(昭和三〇・七・五発行四七号に「安全週間に思う」、同九、一〇発行四八号に「青春の愉しさ」、同一一、三発行四九号に「組織の力を活かしましよう。私達は協力しなければならない。」等)。
(三) 同年一〇月、原告は、八代支部に全繊同盟オルグ会議が設けられたところ、職場委員会の決定によりそのオルグとなつて活動した。
(四) 昭和三一年三月、原告は八代支部教宣部員となり、教宣活動に従事した。
(五) 昭和三二年三月、原告は前記のとおり中央執行委員に選出されて、教宣部長となり活溌な教宣活動を展開した。
(六) 同年四月、原告は全繊同盟化繊部会執行委員となり、かねて教宣委員、規範委員、調査委員となり、活溌な活動を行つた。
(七) なお、原告は昭和三一年一月八代工場男子寄宿舎自治会の委員長に選出されたが、委員長在任当時、寄宿舎の福利厚生施設等につき、組合員のため勤労および厚生課としばしば交渉を行つた。交渉を持つた事項は、寮の浴場の建設促進、寮居住者の消防訓練、夜間の出動、盗難事件発生の際における居住者の指紋採取、面会人に対する守衛の態度、暖房施設の完備、自転車置場の設置、部屋割の自主的規整、煙害対策、食堂施設、食事内容の改善等である。
4 会社は、原告の組合活動に対し、次のような態度に出た。
(一) 前記食堂、食事に関する事項についての交渉の際、勤労課長および機械課長は、昭和三一年三月二六日原告に対し、組合のことに余りに熱意を抱きすぎると嫌味を言い、また、同年四月一〇日頃社長、副社長が八代工場の視察に来た際も、原告は寄宿舎の実状を直接社長に訴えようとしているとの噂に激怒し、原告を叱責した。
(二) 前記「くまがわ」の寄稿に関し、当時、機械課長は、原告に対して工場長も立腹していると強い非難の言葉を浴びせた。
5 (一) 原告の解雇理由は、原告は人員整理要領の解雇基準B項に該当するというにある。しかし、右B項は、過去の人事考課の成績の下位の者から順次解雇するというものであるが、人事考課の成績は何ら客観的なものでなく、会社が一方的に加減できるものであるから正当なものとは言えない。したがつて、かような一方的な基準によつて原告を解雇したのは正当でなく、本件解雇は前記原告の組合活動を理由とするものであつて、不当労働行為として無効である。
(二) 仮りにそうでないとしても、原告は解雇基準B項該当者ではないから、本件解雇は不当解雇であつて無効である。
四 原告は本件解雇当時前記のとおり組合専従者であつたが、昭和三三年八月一六日専従を解かれた。会社と組合間の労働協約第一三条第一、第二号によれば、専従者の身分は休職とされ、専従期間中賃金その他の給与は支給されないが、同協約第一五条によれば、「専従者が専従を解かれたときは、原則として会社は原職に復帰させて適正な賃金を保障する。」と規定され、しかも覚書によれば、「適正な賃金とは、組合員が専従者となつた時の同条件者との比較において適正であるという意味である。」とされている。したがつて、昭和三三年九月以降当然原告の身分は休職でなくなり、原告は従業員としての身分を完全に回復したものであるから、会社は原告に対し賃金その他の給与を支払う義務がある。
しかして昭和三三年九月から同三六年三月までの給与ならびに一時金の総合計は五六六、九六〇円となり、その内訳は次のとおりである。
(一) 給与
(イ) 昭和三三年九月から一二月まで(五三、一六〇円)
一ケ月分の内訳は職能給一二、八九〇円、生活積立金二〇〇円、住宅給二〇〇円、計一三、二九〇円。
(ロ) 同期間中の一括払い分(一、六〇〇円)
一ケ月四〇〇円の割合。
(ハ) 昭和三四年一月から三月まで(四一、〇七〇円)
一ケ月分は前記(イ)の内訳中、職能給一三、二九〇円と変更されたほか他は同じ。計一三、六九〇円。
(ニ) 同年四月から同三五年三月まで(一七八、九二〇円)
一ケ月分は(イ)の内訳中、職能給が一四、五一〇円と変更されたほか他は同じ。計一四、九一〇円。
(ホ) 昭和三五年四月から同三六年三月(一九六、二〇〇円)
一ケ月分は(イ)の内訳中、職能給が一五、九五〇円と変更されたほか他は同じ。計一六、三五〇円。以上合計四七〇、九五〇円。
(二) 一時金(賞与)
(イ) 昭和三三年末七、七〇〇円(一ケ月分職能給の〇、六倍)
(ロ) 昭和三四年夏一四、三一〇円(一ケ月分職能給の一、〇倍)
(ハ) 同年末二四、三〇〇円(一ケ月分職能給の一、六九九倍)
(ニ) 昭和三五年夏二〇、二〇〇円(一ケ月分職能給の一、二七三倍)
(ホ) 同年末二九、五〇〇円(一ケ月分職能給の一、八倍のほか一律一、〇〇〇円支給)
以上計九六、〇一〇円。
五 よつて、原告は被告に対し原告が被告の従業員であることの確認を求めるとともに、前記昭和三三年九月から同三六年三月までの給与ならびに一時金合計五六六、九六〇円の支払を求める。
六 仮りに右主張が認められず、原告が専従を解かれてもその従業員たる身分は当然には回復せず、したがつて、給与等の請求権が発生しないとしても、被告は少くとも前記協約第一三条に即して原告の休職を解き給与等の請求をすることができる従業員たる身分を回復させる義務があるのにかかわらず、その義務に違反した。よつて、原告は被告に対し前記適正賃金相当額の損害賠償請求権を有するから、その損害の賠償を求める。
第三被告の答弁ならびに主張
一 答弁
1 請求原因一、二および三、12の事実は認める。
2 同三、3の事実については、(四)のうち原告が昭和三一年三月八代支部教宣部員となつたこと、(五)のうち原告が同三二年三月中央執行委員・教宣部長になつたこと、(七)のうち原告が昭和三一年一月自治会委員長に選出され、在任当時寄宿舎の福利厚生施設等に関し勤労、厚生両課と話合つたことはいずれも認めるが、(七)のうち原告が組合員のため交渉したことは争う。その余の事実はすべて知らない。
3 同三4の事実については、(一)のうち社長らが工場視察に来たことは認めるが、(二)の寄稿の事実は不知、その余の事実は争う。
4 同三5の事実は、原告の解雇理由が原告主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は争う。
5 同四の事実は、原告が昭和三三年八月専従を解かれたこと、原告主張のような労働協約が存在すること、給与および一時金の額が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。
6 同五、六の主張は争う。
二 被告の主張
1 人員整理について。
(一) 昭和三二年アメリカの景気後退に基づく国際的消費の減少に伴い、会社の経営も漸次悪化の一途をたどつていた。昭和三二年五月から同年一〇月までの会社の経営状況を見ると、この間実に六億六、〇〇〇万円の赤字を生ずるに至り、しかも同年一一月以降赤字は更に累増することが予測された。そこで会社は原告主張のような人員整理要領を発表して組合と交渉したが、遂に組合の同意を得ることができなかつたので、止むなく会社は一方的に昭和三三年三月二六日付で人員整理を実施したのである。
(二) 人員整理は八代工場紡績部門移設に伴うものと、一般部門合理化によるものとに分けて実施されたが、原告は後者の一般部門合理化による人員整理の対象となつたものである。
(三) 原告は整理当時八代工場機械課に在籍していたが、同工場の当時の従業員は一、五七二名(うち紡績関係五四五名)で、一般部門合理化による整理人員は三五六名であつた。機械課の従業員は、非組合員一名、組合員二三七名、臨時一七名計二五五名であつたので、会社は機械部門の定員を一七六名として七九名を整理することとし、そのうち四六名を他の部門に配置転換し、紡績部門から四名を受入れることとした。そのため結局のところ、組合員二〇名(A項該当者七名を含む)、臨時一七名計三七名の解雇にとどまつた。原告は、その成績が組合員二三七名中最下位から五位という悪いものであつたから、整理に当り基準B項該当者として解雇するほかはなかつた。
2 解雇基準の適用について。
(一) 会社は、解雇基準B項の具体的適用については、次の方針をとつた。すなわち、昭和三一、三二年の両年度に実施した昇給および賞与のための人事考課表に基づいて成績を決定し、その順位に従つて整理を行い、なお、右期間中の成績が悪かつた場合でもその後の成績がとくに優秀であつた者については、考課が悪かつた原因を調査したうえ、総合的に判断して解雇しないこととした。
(二) 従来会社は、年一回の昇給および年二回の賞与の額を決定するため、その都度人事考課を行つた。その実施に当り配慮した点は、次の四点である。(イ)信頼して仕事を委せることができるか、(ロ)委せられた仕事を責任をもつて行つているか、(ハ)同僚上司と協調して仕事を行つているか、(ニ)仕事の出来ばえはどうかということである。
しかしてその考課は、次の方法によつた。まず、班長が原査定を行い、次いで組長が右原査定につき各班の調整をし、更に係長が各組間の調整をして第一次考課を行う。つぎに課長が第一次考課に検討を加えて第二次考課を行い、第三次考課として部長が最終的決定をする。
また、考課の結果は、これを点数で表示し、標準点数は〇点、成績優秀者はプラス二点、成績劣悪者はマイナス二点とし、〇・五点間隔で九段階に区分して採点した。
なお、係長が第一次考課を行う場合、班長の原査定は原則として尊重され、班長、組長の意見を聴かないで係長が一方的にこれに修正を加えるようなことはなかつた。
3 原告の成績について。
右人事考課において、八代工場の従業員は大部分標準点をあたえられ、マイナス一点あるいは二点という査定を受ける者は極めて稀であつた。ところが原告の昭和三一、三二年度における昇給および賞与のための考課は、左記のとおりであつて(カツコ内は査定期間)、この期間におけるマイナス点の合計は四・五となり、A項該当者を除く成績順位は最下位から五番目であつた。
昭和三一年 昇給 (三〇年三月―三一年二月) マイナス 一・五
〃 上期賞与 (三〇年一一月―三一年四月) 〃 一・〇
〃 下期賞与 (三一年五月―一〇月) 〃 一・〇
昭和三二年 昇給 (三一年三月―三二年二月) マイナス 〇・五
〃 上期賞与 (三一年一一月―三二年四月) 〃 〇・五
計 マイナス 四・五
第四被告の主張に対する認否
一 1 二、1(一)の事実は、人員整理の点は認めるが、その余は知らない。
2 同(二)の事実は認める。
3 同(三)の事実のうち、原告の成績が最下位から五位であつたことは不知、成績が悪かつたから解雇したという点は争うが、その余は認める。
二 二、2の事実は知らない。
三 二、3の事実は、原告の成績が悪かつた点は否認する。その余の事実は知らない。
第五証拠<省略>
理由
一、原告が昭和二六年四月被告会社に期間の定めなく雇用されて昭和三二年三月まで同会社八代工場機械課保全係に係員として勤務し、その後は組合の中央執行委員として組合事務に専従していたこと、被告会社が専従中の原告に対し昭和三三年三月二六日付書面をもつて、同月三一日付で解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。
二、原告は右解雇の意思表示は不当労働行為として無効であると主張するので、まず、この点について検討する。
1 成立に争いのない甲第一ないし第三号証、原告本人尋問の結果により成立の認められる甲第五号証、証人碇友男ならびに原告本人の供述を総合すると、次のとおり認められる。すなわち、
(一) 原告はかねて組合八代支部に加入していたが、入社当時から昭和三〇年初頃までは組合の役職にこそついていなかつたけれども、毎月開かれていた組合の職場会には必ず出席していた。当時、組合員は一般に上司に遠慮して発言を差し控える傾向にあつたが、原告は右職場会において敢然として質疑を行い、また意見を開陳するなどして、とくに賞与の配分問題等に関し組合の御用性を鋭く批判し、組合民主化のために努力した。
(二) 昭和三〇年三月、原告は職場委員に選ばれ活溌に組合活動を行うようになり、昭和三〇年七月五日発行の組合八代支部機関紙「くまがわ」四七号に「安全週間に思う」と題する一文を寄せて被告会社の安全運動を批判し、同年九月一〇日発行の同紙四八号には組合員の無気力を指摘して団結を呼びかける趣旨の寄稿をし、また同年一一月三日発行の同紙四九号には中央委員会や組合幹部のあり方等を批判し、組合員の意識向上と団結を強調する趣旨の「組織の力を活かしましよう。私達は協力しなければならない。」と題する文章を投稿掲載させるなどした。
(三) 同年七月頃、原告は組合八代支部大会において、代議員として組合の御用性を痛烈に批判する演説(前記「組織を活かしましよう云々」と同一趣旨のもの)を行い、組合強化の必要があることを力説した。
(四) 同年一〇月、原告は組合八代支部に全繊同盟オルグ会議が設けられたところ、そのオルグとして職場内において熱心に活動した。
(五) 昭和三一年三月、原告は組合八代支部の教宣部員となり(この点争いがない)、教宣活動に従事した。
(六) 昭和三二年三月、原告は中央執行委員に選出されて教宣部長として専従し(この点争いがない)、活溌な組合活動を行つた。
2 ところで、被告会社は本件人員整理を実施するに当り、原告はその成績が組合員二三七名中最下位から五位という悪いものであつたので基準B項該当者として解雇するほかなかつたと主張するので、考えてみる。
(一) 被告会社が原告主張のとおりの人員整理要領を発表し、これに示された解雇基準を適用して人員整理を実施し、原告が基準B項に該当するものであるとして前記のとおり解雇されたことは、当該者間に争いがない。
(二) 証人河野恒の証言により成立の認められる乙第一号証第二号証の一ないし六、同証言、証人原口了、坂本政春の証言を総合すると、次のとおり認められる。すなわち被告会社は、解雇基準B項の適用については、昭和三一、三二年の両年度の人事考課表に基づいて成績順位を決定し、その順位に従つて整理を行う方針を決定した。会社は当時年一回の昇給および年二回の賞与の額を決定するため、その都度人事考課を行つていたが、その実施に当つては被告主張の四点(前記第三、二、2、(二)記載)を考慮して、成績を決定していた。しかして、その考課の方法および結果の表示方法が被告主張のとおりであつて(前同)、右方法によつて査定された原告の評点も被告主張のとおりで、その成績、基準A項該当者七名を除いた機械課の組合員二三〇名中最下位から五番目であつた(前記第三、二、3記載)。なお、原告について昭和三二年下期賞与(査定期間三二年五月―一〇月)のための考課は、組合専従中のため実施されなかつたが、解雇基準の成績順位を定めるについては、右期間中の考課評点を零とみなして計算されている。
(三) 原告は人事考課の成績は何ら客観的なものではなく正当なものとは言えない旨主張するが、原告の提出援用に係る全証拠を仔細に検討しても、被告会社の前記考課が著しく不当なものとは認められないから、右主張は採用の限りでない。
3 そこで、本件解雇の効力について考えてみる。
(一) 原告の昭和三一、三二年度における成績は、前記認定のとおりであるから、一応解雇基準B項に該当するものと云えよう。しかしながら、右解雇基準を当時組合専従者であつた原告にも一率に当てはめて本件解雇に及んだことの合理性については、次のような疑点が存する。(イ)本件人員整理が被告会社において経営合理化の必要に迫られ、「企業の効率的運営に寄与しない者」を対象に行われるものであることは、前記「人員整理要領」からも明らかであるところ、原告は後記のような労働協約により組合業務に専従する従業員であつて、その期間中原告が右にいう「企業の効率的運営に寄与」しないことは、被告会社として当然予期し承諾せざるを得ない立場にあるのであるから、かような従業員について低能率を理由として解雇する業務上の必要性は少くともその専従期間中には現存しないものと云える。もつとも、解雇時に接着した近い将来に専従を解かれ職場に復帰することが確実に予測されるような場合には、右解雇の必要性はなお現存するものと云うを妨げないけれども、原告について本件解雇当時かような事情があつたと認められる証拠はない。また、一般に低能率の専従者を解雇すればこれに代つてより高能率の従業員が専従者に選ばれることが予想されるから、企業効率はさしひきかえつて低下することとなるべく、この点からも、組合専従者について、非能率を理由としてこれを解雇することは、通常の場合合理性を欠くものと考えられる。(ロ)原告について昭和三二年下期の考課の査定は行われず、結果的に評点零とみなして成績順位が定められていることは前述のとおりであるが、それ以前の査定期間について評点がマイナス一・五、マイナス一・〇、マイナス〇・五と次第に向上しているのみならず、前出各証言および原告本人の供述によれば右期間中原告は熊本短大(夜間)に通学し、過労のため健康を害しており、このことが右成績の評価に不利に影響していることが窺われるから、同短大を卒業し専従者となつた昭和三二年下期の考課を評点零とみなすことが原告にとつて有利な取扱いであつたとは、必ずしも断定できない。
(二) 成立に争いない甲第四号証、井本吉広、前記河野の証言、原告本人の供述を総合すると、(イ)昭和三〇年七月前記「くまがわ」四七号に「安全週間に思う」を投稿したことによつて、原告は、工務部長、河野勤労兼厚生課長ら会社幹部の注目するところとなり、(ロ)右「くまがわ」四七号掲載の記事に関し当時上司である機械課長原口了が原告に対し組合活動などしないでスポーツをやれと注意したこと、(ハ)同年一一月原告が予防保全点検から工務室に配転になつた当時も右原口課長から組合運動に熱意をそそぎ過る旨の注意を受けていること、(ニ)原告は昭和三一年一月に男子従業員寄宿舎自治会長、同年七月から年末まで同副会長に就任したが、その間原告主張のような事項(第二、三、3(七)記載)について会社側と活溌に交渉するとともに、かような活動についても組合と連繋する必要があることを強調し、河野課長ら会社職制から注目警戒されていたことが認められる。
(三) 前記認定のとおり原告が終始熱心に組合活動を行つていたこと、とくに八代支部から推されて組合中央執行委員(教宣部長)に選ばれた経歴、声望からすれば、原告が将来専従を解かれ職場に復帰した場合支部組合員に対し相当な指導影響力を有するであろうことは当然予期し得べきことであり、右事実に上記(一)、(二)で認定した事情を考え合わせると、本件解雇は、人員整理に藉口するものであつて、その実は原告の組合活動を理由とするものであると認めるのが相当である。
4 してみれば、本件解雇は原告の組合活動を嫌悪し、これを企業外に排除しようとするものであつて、不当労働行為として無効であると言わなければならない。
三、ところで、原告が昭和三三年八月一六日専従を解かれたこと、専従者の身分は会社と組合間の労働協約および覚書により休職とされ、専従期間中は賃金その他の給与は支給されないが、専従を解かれたときは、原則として会社は原職に復帰させて専従者となつた時の同条件者との比較において適正な賃金が保障されることとなつていることは、当事者間に争いがない。そこで右のいわゆる在籍専従者の身分について考えるに、在籍専従者は専従期間中休職の取扱いを受けるにとどまり、その者と使用者との間には労務提供・賃料支給の関係を除くほか労働契約は依然として存続しているものと解するのが相当であるから、専従者は専従を解かれることにより、特別の事情がない限り、当然にその従業員たる身分を完全に回復するものと言うべきである。いま本件についてこれをみるに、本件解雇が無効であり、かつ原告が専従を解かれたことは前記のとおりであるから、原告は専従解除と同時に被告会社の従業員たる地位を完全に回復したものと言わなければならない。
もつとも労働協約第一五条には「専従者が専従を解かれたときは、原則として会社は原職に復帰させて適正な賃金を保障する」と規定されているところから、被告は専従者が専従を解かれたときは、従業員たる身分を回復するため更めて会社の意思表示を必要とすると主張するけれども、在籍専従の趣旨が前示のとおりであるとすれば、右協約の条項は、もつぱら原職へ復帰させるか他の職場に復帰させるか、およびその場合の賃金に関する規定であつて、「原則として」の字句はこの点に関してのみ会社に裁量の余地を認める趣旨にとどまるものと解するのが相当であり、これと異別の解釈を容れる特段の事情は認められない。
四、以上のとおりであるから、原告は依然被告会社の従業員たる地位を有するものと言うべく、しかして昭和三三年九月以降同三六年三月までに原告が受けるべき給与ならびに一時金の合計が原告主張のとおりであることは当事者間に争いがない。
五、よつて原告の本訴請求は理由があるから正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 橘喬 吉田良正 三枝信義)